このページの要点
- 契約は書面がなくても成立する(民法522条)。後から届く契約書が、確認型・将来型・遡及型のどれかを見分け、遡及型は期間・対象の業務・適用する条項を特定させる。
- 契約前に作った成果物の著作権は、原則として創作した受注者に生じる(著作権法17条)。契約前の作業に権利の条項を及ぼすなら、責任の上限と成果の不保証もセットで及ぼす。
- 完全合意条項は、契約前の報酬の合意を上書きする。契約前の業務の報酬の請求を妨げない旨の但書と、受領済みの金額を内払いとする扱いを書いてもらう。
- 遡及させると、支払期日・検収・不適合の期間・賠償の上限の起点が動く。起点は実際の納品日・受領日に固定し、先に結んだ秘密保持契約とは優先関係と対象の期間を決める。
最初に押さえること:契約は書面がなくても成立している。後から届いた契約書が「何を対象にしているか」を見分ける
「急ぎなので、先に進めてください。契約書は後でお送りします」。受注者の側では、この順番で仕事が始まることが珍しくありません。急ぎの依頼、継続している取引への追加、紹介を受けた案件、まず試してみたいという依頼。そして数日から数か月たってから契約書が届き、そこには「本契約は令和○年○月○日に遡って適用する」「本契約は、本件に関する従前の一切の合意に優先する」と書かれていることがあります。
最初に確かめておきたいのは、書面がなくても契約は成立するということです。民法は、契約は申込みに対して相手方が承諾をしたときに成立し(522条1項)、成立には書面の作成その他の方式を必要としない(同条2項)と定めています。発注のメールやチャットに受注者が「承知しました」と答えて作業を始めたのであれば、その時点で契約はすでに成立していると見られることが多いでしょう。後から届く契約書は、「これから契約を結ぶ」ための書面とは限りません。
事務所が受注者の側でこうした契約書を読むときは、書面の働きを次の三つに分けて見ています。
後から届く契約書の三つの働き
| 働き | 書き方の例 | 受注者への影響 | 確かめること |
|---|---|---|---|
| すでにある約束を書面に残す(確認型) | 本契約は、令和○年○月○日に甲乙間で成立した合意の内容を確認するものである。 | 発注のときの条件が基準になる。メールなどの記録と食い違わなければ、受注者の不利は小さい。 | 発注のときのメール・チャットの条件と、書面の条件が一致しているか。 |
| 書面の日から先だけを対象にする(将来型) | 本契約は、締結日以降に開始する業務に適用する。 | それまでの作業は契約書の外に残る。報酬や権利の扱いは、当時の合意と民法の定めに戻る。 | 締結日より前の作業の報酬・権利・責任について、書面が何も言っていないことを承知しているか。 |
| 過去にさかのぼって適用する(遡及型) | 本契約は、令和○年○月○日に遡って適用する。 | 着手後の作業が、書面の検収・保証・賠償・知的財産の条項に取り込まれる。 | 期間・対象の業務・適用する条項が特定されているか。すでに受け取った報酬との関係はどうか。 |
三つの働きは一通の契約書の中で混ざることもあります。たとえば、権利の条項だけを遡及させ、保証の条項は締結後の業務にだけ適用する、という書き方です。
このページでは、後から届いた契約書を受注者が読む順番に沿って、遡及適用の条項の読み方、契約前にした作業の権利と報酬、遡及で数え直しになる日数、先に結んだ秘密保持契約との連携、着手の前に残しておく書面と段階的な契約、届いた書面を受け取る手順を整理します。署名の前の確認一般は締結前の確認、発注のメールで示してもらう項目はフリーランス法、届いた書面に修正をお願いする伝え方は修正依頼の伝え方のページで扱っています。
フリーランス法との関係も、先に整理しておきます。発注者が特定受託事業者に業務委託をする事業者(業務委託事業者)であれば、業務委託をした場合は、直ちに、給付の内容、報酬の額、支払期日などを、書面又は電磁的方法で明示しなければなりません(フリーランス法3条1項)。明示すべき事項には、業務委託をした日や、給付を受領する期日なども含まれます(公正取引委員会規則1条1項)。契約書が作業の後に届くことは、この「直ちに」とずれる場合があります。受注者の側から見ると、書面を出してほしいと求める根拠の一つになります。ただし、この義務は発注者に向けられたもので、書面が遅れたからといって受注者の約束がなくなるわけではありません。取適法(製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律。2026年1月1日施行)の適用がある取引でも、委託事業者が直ちに書面等で明示する義務を負う点は同じです(取適法4条1項)。
「遡って適用する」条項の読み方:期間・対象・条項を特定させる
遡及適用とは、契約の効力を、署名の日より前の日から及ぼす定めです。契約の内容は、法令の制限の範囲内で当事者が自由に決められるので(民法521条2項)、遡及適用の合意そのものは可能です。受注者が確かめるのは、その合意がいつから、どの業務に、どの条項を及ぼすのか、という三点です。
事務所が受注者の側で整えた契約書に、SNS運用の伴走型の支援を一定の期間にわたって提供する準委任契約があります。この契約では、実際に支援を始めた日が署名の日より前でした。当初の案は、契約期間を開始日から数か月間とし、「署名と初回報酬の支払の完了をもって効力を発する」とするだけで、開始日から署名の日までの扱いが書かれていませんでした。改訂後は、次のように二段に分けています。
受け取った条文の直し方 遡及適用と発効の時点
効力の発生
理由実際の開始日と契約期間を合わせ、着手後の作業も契約の対象にするためです。発効を署名と初回報酬の支払に結び付ける点は残しています。
遡及の範囲
理由期間、業務、報酬の条件のどれが対象なのかが曖昧だと、あとで争いになりやすいためです。
改訂後の定めは、法律の言葉で整理すると、条件が成就したときに効力が生じるという形(民法127条1項)に、その効果を条件が成就した時以前にさかのぼらせる意思を表示する(同条3項)という形を組み合わせたものと読めます。署名と初回報酬の支払という条件が整ったときに契約が発効し、その効力が開始日までさかのぼる、という構造です。次の三点を確かめておくと、読み違いを減らせます。
- 発効の条件に「初回報酬の支払」を入れた設計の循環に気付く。支払を受けるまで受注者が拘束されないという利点はありますが、初回報酬の支払義務を定めた条項そのものが、支払の後でなければ効力を持たない、という循環が生じ得ます。初回報酬の支払期限を「署名後○日以内」と別に定め、期限までに支払がないときは受注者が業務を停止し、又は解除できる、と書くと、効力の発生と支払の義務を切り離して読めます。
- 遡及させる条項を選ぶ。全部の条項を遡及させると、過去の作業に新しい義務まで及びます。事務所が受注者の側で整えた構築の契約書では、契約前の作業に権利の整理の項を及ぼす一方で、遡及する項を「第○項から第○項まで」と項番号で列挙し、それ以外の項は締結後の業務にだけ適用する形にしました。
- 遡及の日付を実際の発注日・着手日と合わせる。フリーランス法の明示事項には「業務委託をした日」があります(公正取引委員会規則1条1項2号)。書面の日付が署名の日になっているときは、実際に頼まれた日や着手日とのずれが、後で支払期日や期間を数えるときの食い違いにつながります。
遡及適用の条文が、読み手によって別の意味になる点にも注意します。発注者は「これまでの作業を契約の条件に取り込む」つもりで、受注者は「これまでの作業にも契約の保護(責任の上限、権利の留保)を及ぼす」つもりで読むことがあります。どちらの意味なのかは、条文だけでは決まらないので、対象の期間と条項を書かせるのが確実です。
契約前にした作業の権利と報酬:先に動いた分は契約書の外に残る
契約前にした作業は、権利と報酬の二つの面で、契約書の外に残ります。
権利の面。著作権は、原則として創作した時点で創作した人に生じ、その享有に方式の履行は要りません(著作権法17条1項・2項)。契約書がなかった期間に受注者が創作した部分の著作権は、受注者のものです(発注者が提供した素材の部分を除きます)。後から届いた契約書に「成果物の権利は納品時に発注者へ移転する」とあっても、その「成果物」が「本業務の遂行の過程で作成したもの」と定義されているだけでは、契約前の作業が入るかどうかが読み取れません。発注者は「当然に自社のもの」と考え、受注者は「まだ自分のもの」と考える、という認識のずれが残ります。
事務所が受注者の側で整えた構築の契約書では、効力発生日より前の約2か月、契約書なしで作業をしていました。この期間の扱いは、次の三点をセットにしています。
- 効力発生日より前に作った成果物にも、権利の条項を適用する。権利が移る時期は、納品時ではなく効力発生日とする。
- 受注者が持つテンプレート、手順書、チェックリストなど、汎用的なものの権利は受注者に留保する(知的財産のページ)。
- この期間の作業にも、責任の上限と、成果を保証しない旨の定めを適用する。
一つ目と三つ目をセットにするのは、権利だけを発注者に移して責任の上限を契約前の作業に及ぼさないと、発注者は権利を得ながら、受注者は上限のない責任を負う形になるためです。片方だけ外すと、契約前の作業の扱いが一貫しなくなります。責任の上限の物差しも、確認しておきます。上限が「損害の原因となった業務の報酬額」のように業務ごとの報酬に連動する書き方だと、無償で行った期間の作業は上限が0円とも読め、発注者との間で解釈が食い違います。この契約書では、上限を月額報酬の一定の月数分という固定の物差しにしていたので、契約前の作業にも同じ物差しをそのまま当てられました(賠償の上限)。
条文例契約前の作業を契約に取り込む定め(例)
1乙が本契約の効力発生日より前に、甲の依頼により本件業務に関して行った作業及び作成した成果物は、本件業務の遂行の過程で作成したものとみなし、第○条から第○条までの規定を適用する。
2前項の成果物に係る権利の移転の時期は、本契約の効力発生日とする。
3第1項の作業については、第○条(責任の制限)及び第○条(成果の不保証)の規定を適用する。
4前三項の規定は、第○条(甲の提供する素材に関する定め)及び第○条(協力義務)には適用しない。
第4項のように、遡及しない条項を明示すると、過去の作業に新しい義務を負わされることを防げます。
報酬の面。準委任(法律行為でない事務の委託。民法656条)では、受任者は特約がなければ報酬を請求できません(648条1項)。請負も、報酬を支払う約束が成立の要素です(632条)。契約前に報酬を決めていなかったのなら、請求の根拠は弱くなります。商人がその営業の範囲内で他人のために行為をしたときは相当な報酬を請求できる(商法512条)という定めもありますが、受注者が商人に当たるか、その行為が営業の範囲内かは個別に判断されるので、これを頼りにせず、契約書やメールに報酬の額を残しておくことが確実です。
見落としやすいのが、完全合意条項です。「本契約は、本件に関する甲乙間の合意の全部であり、本契約の締結前の合意は、口頭・書面を問わず本契約に優先する」という定めは、契約前にメールで決めていた報酬の上乗せ分や支払期日を、新しい契約書の条件で上書きします。事務所の構築の契約書では、当初は「契約前の期間の報酬には契約書で触れない」という整理でした。この場合、完全合意条項によって契約前の合意は本契約が優先することになります。改訂後の版では、「ただし、効力発生日前の業務に係る報酬の請求を妨げない」と加え、請求できる余地を残す形にしました。
条文例完全合意条項に入れる但書(例)
1本契約は、本件業務に関する甲乙間の合意の全部であり、本契約の締結前の甲乙間の合意(口頭・書面を問わない)に優先する。
2前項の規定にかかわらず、本契約の効力発生日より前に乙が甲の依頼により行った業務に係る報酬及び費用の請求を妨げない。この場合の報酬の額は、甲乙が従前に合意した額(合意がないときは、甲乙が別途協議して定める額)とする。
契約前の作業を無償とする場合は、その旨を明記します。無償と決めるのか、請求の余地を残すのかを、書面の上ではっきりさせることが目的です。
すでに受け取った金額の扱い。着手金や前払いの報酬をすでに受け取っているときは、契約書の報酬のどの部分に当たるのかを書いてもらいます。「受領済みの金額は、本契約の報酬の内払いとして扱う」とすれば、二重に請求された、あるいは未払いが残ったという行き違いを防げます。契約書に返金の条項があるときは、その条項が契約前に受け取った分に及ぶのか、及ぶなら未履行の部分に限るのかも確かめます。
確かめる問い 届いた契約書の報酬を確かめるとき
- この契約書の報酬は、いつの作業から対象か。契約前の期間が含まれるのか、含まれないのかで、請求できる範囲が決まります。
- すでに受け取った金額は、契約書の報酬のどの部分に当たるか。内払いの扱いが書かれていないと、請求の重複や未払いの残りが後で問題になります。
- 契約前の期間の報酬を請求しない整理なら、その旨を書いたか。請求しないと決めるのは自由ですが、書面で決めた後に、あらためて請求することは難しくなります。
- 完全合意条項が、契約前の報酬の合意を消していないか。但書で契約前の報酬の請求を妨げない旨を残せるかを、先に確かめます。
- 返金の条項が、契約前に受け取った分に及ばないか。未履行の部分に限る、と範囲を絞る修正が考えられます。
遡及させると数え直しになるもの:支払期日・検収・不適合の期間・賠償の上限
遡及適用の契約書は、条項の中にある日数の起点を動かします。契約書の日数は「納品から○日」「受領から○営業日」のように、納品や受領の日を起点にしていることが多く、着手後の作業まで取り込むと、すでに過ぎた日数が問題になります。
遡及で起点が動く日数
| 数えるもの | 契約書の書き方の例 | 遡及したときの問題 | 書いておくこと |
|---|---|---|---|
| 報酬の支払期日 | 納品から○日以内/月末締め翌月末払い | 納品済みの分の起算がすでに進んでいる。受領から60日の枠をすでに使っていることがある。 | 遡及する期間の分の支払期日を、受領日から60日の枠の内側に収めて別に定める。 |
| 検収の期間とみなし検収 | 納品後○営業日以内に検収。異議がなければ受領とみなす。 | 納品済みの成果物に適用すると、書面が届いた時点で期間が過ぎている、又は書面が届いてから数え始めて検収が長引く。 | 納品済みの分は検収の対象から外すか、起算を「契約書の受領日」と明記する。 |
| 契約不適合の責任を負う期間 | 検収完了から○か月以内に通知。 | 起点を遡らせると期間を過ぎた扱いになり、又は逆に長く続く。 | 納品済みの成果物の起点を、実際の納品日に固定する。 |
| 賠償の上限 | 損害の原因となった業務の報酬額を上限とする。 | 無償で行った期間の作業は、上限が0円とも読め、解釈が分かれる。契約前の作業が契約の対象外なら、上限の条項そのものが及ばない。 | 上限の物差しを月額報酬の月数分などの固定額にし、契約前の作業にも適用すると書く。 |
| 契約期間と更新の通知 | 開始日から○か月。満了の○日前までに通知。 | 開始日が前倒しになると、満了日も更新の通知期限も前倒しになる。 | 遡及後の満了日を、日付で書く。 |
日数を契約書の日付からではなく、実際の納品日・受領日から数える、と書いておくと、遡及で起点がずれることを防げます。
支払期日については、法律の枠も確認します。発注者が特定業務委託事業者(従業員を使用する個人、又は役員が二人以上いるか従業員を使用する法人)にあたる取引では、報酬の支払期日は、給付を受領した日から起算して60日の期間内で、できる限り短い期間内に定めなければなりません。支払期日を定めなかったときは受領した日が、60日を超えて定めたときは受領した日から起算して60日を経過する日が、それぞれ支払期日とみなされます(フリーランス法4条1項・2項)。仕事が先に進んでから契約書が届き、そこに「翌々月末払い」と書かれていたときは、受領日から60日の枠をすでに使っていないかを確かめます。月末締め翌月末払いの数え方は報酬と支払条件のページで扱っています。
検収と不適合の期間については、検収・契約不適合のページで扱う書き方に、起点を実際の納品日に固定する一文を足すだけで、遡及との衝突を避けられます。
先に結んだ秘密保持契約と、後から届いた契約書をつなぐ
取引の入口では、秘密保持契約書を先に結び、業務委託契約書を後から結ぶ順番もよくあります。事務所が受注者の側でレビューした、印刷物やウェブのデータ制作の受託に関する秘密保持契約書は、先に結ぶ秘密保持契約の例でした。この契約書は、業務委託契約(原契約)に関連して開示される秘密情報を保護の対象としており、事務所のレビューは、目的の条項で原契約との連携を明記していることを評価しました。そのうえで、原契約の例示(印刷データ、デザイン、コーディングなど)を加えて他の案件にも当てはまる書き方にすることと、秘密情報が原契約の締結より前に開示された場合の扱い(遡及適用)を補足することを提案しました。
受注者の側から見ると、先に結んだ秘密保持契約と後から届く業務委託契約の間では、次の三つを確かめることになります。
- 秘密保持契約の前にすでに受け取った資料の扱い。秘密保持契約が、締結前に開示された情報まで秘密情報に含めるときは、「令和○年○月○日以降に開示された情報」のように日付で区切ります。遡及の対象にするなら、秘密である旨が示された情報、又は性質上秘密と分かる情報に限り、締結前の受注者の行為(すでに保存した、すでに共有した)は違反に問わない、と書いておきます。
- 秘密保持の定めが二重になること。先に結んだ秘密保持契約と、業務委託契約の中の秘密保持の条項で、定義・存続期間・違反の責任が食い違うことがあります。「抵触するときは本契約の定めが優先する」「先に結んだ秘密保持契約に代わる」など、優先関係を書いてもらいます。
- 違反の責任の上限。秘密保持の違反に、業務委託契約の賠償の上限が及ぶのか、及ばないのかを確かめます(秘密保持・NDA)。
条文例先に結んだ秘密保持契約との関係(例)
1甲乙は、本契約の締結に先立ち、令和○年○月○日付で秘密保持契約(以下「先行契約」という)を締結した。先行契約に基づき開示された情報は、本契約における秘密情報とみなす。
2先行契約と本契約とが抵触するときは、本契約の定めが優先する。
3先行契約の締結前に開示された情報への遡及適用は、開示の時に秘密である旨が示され、又は性質上秘密であることが明らかな情報に限る。遡及適用は、先行契約の締結前の乙の行為には及ばない。
着手の前に残しておく最小限の書面と、段階的な契約
原則は、契約書か発注書を先に取り交わして、それから着手することです。やむを得ず先に着手するときは、メールなどで、何を、いくらで、いつまでに頼まれたのかを残します。発注のメールで示してもらう項目はフリーランス法のページの5項目が基本です。ここでは、それに加えて、後から届く契約書との接続を一文で残す方法を示します。
文面の例 契約書の前に着手するときの確認の返信
お申し出の件、承知いたしました。契約書をお送りいただく前に着手いたしますので、次の点だけ確認させてください。
①業務の内容と範囲は、先日のご依頼のとおり、○○(記事の本数、修正の回数など)と理解しています。②報酬は○円(税込・税別をご記載ください)、お支払いは納品から○日以内と理解しています。③契約書が整うまでの間、私が作成するものの権利は私に帰属し、契約書で権利の扱いを定めるものと理解しています。
④後日いただく契約書は、本日の着手日(令和○年○月○日)に遡って適用し、これまでの作業も同じ条件で扱うという理解でよろしいでしょうか。食い違いがあれば、ご指摘ください。
返信の内容が、後で届く契約書と食い違わないことを確かめる材料になります。4つの点を書くのは、遡及の対象と報酬を、署名の前に同じ理解にしておくためです。
提案・見積り・試作を無償で重ねるとき。仕事の入口では、提案、見積り、簡単な試作を、契約を結ぶ前に頼まれることがあります。これを契約書なしで進めると、本契約に進まなかったときに、作業の費用も、作ったものの権利も、どこにも根拠がありません。事務所が受注者の側で扱った、AIを使った受託開発やDXの支援を行う会社の案件では、提案、見積り、PoC(概念実証)、営業同行までを含むプリセールスの支援について、無償作業を防ぐ契約の設計を整理しました。要点は、契約を一本にまとめず、段階に分けることです。
着手と契約の段階を分ける
- 相談・提案・概算の見積り無償で行う範囲を、回数・時間・成果物の種類で書面に限定する。見積書に「本見積りは契約の成立を意味しない」旨を書く。
- 調査・要件整理・試作小さな有償の個別契約(準委任など)として切り出し、着手の前に結ぶ。報酬は短期・少額でよい。
- 再見積りと発注の可否調査の結果を見て、本契約に進むかを発注者が決める。進まないときの成果の権利と、発注者が使える範囲を定めておく。
- 本契約調査で確定した範囲・仕様・金額で結ぶ。ここから、検収や保証の条項が働く。
どうしても契約を結べないときは、見積書や提案書の条件を発注者がメールで承諾した記録を残します。何も残せないなら、無償の範囲を提案と見積りにとどめ、試作や環境の構築には、契約が成立するまで着手しません。
契約を結ばないままの着手について、最高裁判所には、契約準備段階の責任を認めた判決があります(最高裁判所第三小法廷昭和59年9月18日判決、昭和59年(オ)第152号、集民142号311頁)。マンションの購入を希望した人が、売主に電気容量を増やすための設計変更と施工を了承させたうえで、自己の都合で契約を結ばなかった事案で、契約準備段階における信義則上の注意義務に違反したとして、売主が設計変更と施工のために被った損害の賠償責任を認めました。この判決は、契約が成立しなかった場面の一つの事例についての判断です。作業をした分の報酬が当然に払われるという意味ではありません。作業の費用の精算は、見積書や契約書に根拠を残しておくのが確実です。
見積書や基本契約には、契約前の着手に関する定めを置けます。「発注者の依頼で個別契約の成立前に着手した業務の報酬と費用は、別に書面で合意する。合意がなくても、依頼に基づく業務に要した費用は受注者が請求でき、書面で無償と定めた範囲を除く。個別契約が成立しなかったときは、その過程で受注者が作成したものの権利は受注者に帰属し、発注者は自己又は第三者のために利用しない」といった趣旨の書き方です。
届いた書面を受け取る手順:署名の前に確かめる
契約書が届いたら、署名の前に、書面の内容を、実際の経過と照らし合わせます。電子署名の依頼が先に届いていても、署名の前であれば修正をお願いできます(締結前の確認)。
後から届いた契約書の署名前チェック
- 契約書の日付と遡及の日が、実際の着手日と合っているか。
- 遡及の対象(期間・業務・条項)が、日付と条番号で特定されているか。
- 着手後にすでに納品・提出したものに、検収・保証の条項が及ぶのか、及ばないのか。
- すでに受け取った報酬・請求済みの金額が、内払いとして扱われているか。
- 完全合意条項が、契約前の報酬・支払期日の合意を消していないか。
- 契約前に作った成果物の権利と、責任の上限が、セットで書かれているか。
- 支払期日の起点が、納品済みの分でも受領から60日の枠に収まっているか。
- 先に結んだ秘密保持契約との優先関係と、対象とする期間が書かれているか。
- 着手前に出したメール・見積書・提案書の条件と食い違っていないか。
食い違いが見つかったら、一つずつ指摘するのではなく、優先順位をつけて一通にまとめて伝えます。伝え方は修正依頼のページで扱っています。
書面を受け取る前に、経過の記録を一覧にしておくと、遡及の日付と対象を正確に書いてもらえます。次の項目を、日付とともにまとめます。
- 依頼の連絡があった日、連絡の手段、依頼してきた担当者。
- 着手した日と、それぞれの作業の内容。
- 発注者から受け取った資料・素材と、受け取った日。
- 納品・提出したものと、その日。
- 受け取った金額と、その日付、名目(着手金・内払い・前払いなど)。
この一覧は、遡及の日付と対象の業務を契約書に書かせるための材料になるだけでなく、書面の内容について争いになったときの記録にもなります。契約書の作成が遅れている間に追加で依頼された作業は、追加の依頼を受けた日を別に記録します。範囲の追加や資料が届かないことで止まった期間の扱いは、業務範囲のページと発注者から資料や回答が届かないときのページが参考になります。
受注者に起きがちなこと
よくあるご質問
契約書をもらう前に仕事を始めてしまいました。契約は成立していますか?
民法は、契約は申込みに対する承諾で成立し、書面の作成は成立の要件ではないとしています(522条)。発注のメールやチャットのやり取りがあり、受注者が承知して作業を始めたのであれば、契約はすでに成立していると見られることが多いでしょう。ただし、報酬や範囲が決まっていないと、内容をめぐって争いになりやすくなります。着手した日、依頼の内容、報酬の話をした記録を整理しておき、届いた契約書がその内容と合っているかを確かめます。
「遡って適用する」と書かれた契約書に署名するとき、まず何を確かめればよいですか?
いつから、どの業務に、どの条項を及ぼすのかを確かめます。遡及の日が実際の着手日と合っているか、対象が「令和○年○月○日以降に実施し、依頼された業務」のように特定されているか、保証や検収のような義務の条項まで過去の作業に及ぶのかを見ます。権利の整理や責任の上限のように受注者を守る条項は遡及させ、新しい義務を負わせる条項は締結後の業務だけにする書き方もあります。
契約書が届く前に受け取った報酬は、どう扱われますか?
契約書に書かれていなければ、契約書の報酬のどの部分に当たるのかが分かりません。「受領済みの金額は、本契約の報酬の内払いとして扱う」と書いてもらうと、請求の重複や未払いの残りを防げます。契約書に返金の条項があるときは、その条項が契約前に受け取った分に及ぶのか、及ぶなら未履行の部分に限るのかも確かめます。
契約前に作った成果物の著作権は誰のものですか?
著作権は原則として創作した時点で創作した人に生じるので(著作権法17条)、契約書がなかった期間に受注者が創作した部分は、受注者のものです。後から届いた契約書の権利の移転の条項が、その期間の作業を含むかは、「成果物」の定義によって決まります。契約前の作業を明文で取り込み、移転の時期を効力発生日と定めるか、取り込まないかを書面ではっきりさせます。取り込むときは、責任の上限もセットで契約前の作業に適用します。
契約書が仕事の後に届くのは、フリーランス法に違反しますか?
発注者が特定受託事業者に業務委託をする事業者であれば、業務委託をした場合は直ちに、給付の内容、報酬の額、支払期日などを書面又は電磁的方法で明示する義務があります(フリーランス法3条1項)。電子メールなどでの明示も認められています。発注の時点で必要な事項が示されていなければ、法律が求める明示とずれている可能性があるので、受注者の側から明示を求める根拠になります。個別の取引が違反に当たるかは、取引の内容と発注者の区分によって異なります。
あわせて読みたいページ
本ページは一般的な情報提供です。個別の取引への法律の適用は、当事者の属性や取引の内容によって異なることがあります。事務所の改訂例・ご相談の事例として紹介している内容は、アトラス行政書士法人が受注者(業務を請ける側)の立場で作成・レビューしてきた業務委託契約書、基本契約・個別契約、秘密保持契約書、誓約書、先方へ送る修正のお願いの文案などを、個別の依頼者・相手方が特定できない形に整理したものです。条文は e-Gov法令検索で確認しています(最終確認日:2026年10月20日)。参考: e-Gov法令検索 / フリーランス法特設サイト(公正取引委員会) / 法人番号公表サイト(国税庁)